近年、スタートアップの資金調達は、その規模と資金使途が大きく変化し始めています。VCファンドの大型化や投資家層の広がりにより、数十億〜三桁億円規模の資金を一度に確保できる企業が増えています。
こうした環境の変化から、複数のプロダクトを束ねて価値を提供する「コンパウンド戦略」を現実的な選択肢へと押し上げています。
とりわけ日本市場では、点ではなく“面”で価値を届けるアプローチとの親和性が高くなっています。大型調達が広がるなかで、日本のスタートアップにとってコンパウンド戦略がどのような意味を持つのか──その相性を読み解きます。
目次
・資金調達をめぐる新たな潮流
・コンパウンド戦略と日本市場の親和性
・コンパウンド戦略の実行において重要な6つの要素
資金調達をめぐる新たな潮流
ここ数年で、スタートアップを取り巻く資金調達環境は大きく変わりました。
VCファンドの大型化や投資家層の拡大により、成長資金をまとめて確保しやすい状況が生まれています。こうした環境変化を背景に、資金の集め方にも新たな傾向が見られるようになりました。
① デットファイナンスの併用
数十億〜三桁億円規模の調達が珍しくなくなり、一度に必要資金を確保する動きが広がっています。あわせて、エクイティとデットを組み合わせ、資本コストを抑えながら資金規模を拡大する手法も定着してきました。
特に注目すべきことは、量産化や設備投資において多額の資金が必要なディープテック分野でもデット調達ができるようになり始めたことです。株式の希薄化を抑えながら必要資金を確保しながら、社会実装に向けた開発を加速させることができるようになりました。
② 資金使途の「構造優位性」シフト
これまで、資金調達の使途は短期的な売上につながる広告投資が中心でした。しかし、競争優位を築くことの重要性が高まる中で、M&Aや研究開発への投資といった“構造的な強さ”をつくる投資へとシフトしています。
こうした取り組みが実現している背景には、大型調達が可能になり、長期的な価値を生む領域に十分な資金を投じられる企業が増えてきたことがあります。

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コンパウンド戦略と日本市場の親和性
単一プロダクトではなく、複数のプロダクトを組み合わせ、顧客の課題を一気通貫で解決するコンパウンド型(複合型)の戦略にも注目が集まっています。
複数のニーズをまとめて解決できるようサービス群を設計することで提供価値が高まり、顧客単価(ARPU:Average Revenue Per User)の向上が見込めるようになります。
さらに、プロダクト間の連携によって事業全体の拡張性が高まるため、市場規模が大きくない領域でも持続的な成長を実現しやすくなります。
なぜ今、この戦略が求められるのか
コンパウンド戦略が注目される背景には、単一プロダクトの改善だけでは成長余地を確保しにくくなっている市場環境があります。多くの領域で顧客ニーズが細分化し、単体のプロダクトが提供できる価値は頭打ちになりつつあります。
また、既存顧客の維持やLTV(顧客生涯価値)の最大化が事業成長の前提である一方、競争が激しくなる中でその実現は難しさを増しています。こうした状況では、顧客が抱える複数の課題を一気通貫で解決できる価値提供が、より強く求められます。
さらに、大型調達やデット併用の広がりにより、スタートアップが周辺領域へ事業を拡張するための資金的余力が生まれています。十分な資金があるからこそ、追加プロダクトの開発や専門人材の採用など、単一プロダクトでは実現できなかった価値提供の幅を持たせることが可能になりました。
日本市場との親和性
この戦略は日本市場との親和性も高いといえます。日本の顧客課題は単一機能で完結しない複雑さを持ち、プロセス全体をつなぐ体験設計が導入率や継続利用率の向上に直結します。また、人口減少によりターゲット市場(SOM:Serviceable Obtainable Market)が縮小する中で、プロダクトの前後工程まで収益範囲を広げることは、事業成長の必須条件となっています。
こうした市場構造を踏まえると、顧客価値を“点”でなく“面”で提供できるコンパウンド戦略は、日本のスタートアップにとって極めて合理的なアプローチになっています。

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コンパウンド戦略の実行において重要な6つの要素
コンパウンド戦略を成功に導くためには、単に複数のプロダクトを並べて展開すればよいわけではありません。
個々のプロダクトがまとまりとして機能し、顧客に“統合された体験価値”を提供できて初めて、ARPU向上や事業の拡張性といったメリットが現れます。そのためには、以下の6つの要素が不可欠です。
1. 課題の連結性
扱う複数の機能やプロダクトが、顧客の達成したい「成果(アウトカム)」に向けて一連の流れとしてつながっているかが重要です。顧客が①→②→③と段階的に進む過程に沿ってプロダクトを設計できているか、あるいはプロダクト同士が自然に文脈で接続しているかが、コンパウンド戦略の成否を大きく左右します。単なる“機能の寄せ集め”ではなく、「連続的な課題解決のストーリー」を描けるかどうかが鍵となります。
2. 共通基盤の活用
認証、データ基盤、UI/UXなどを各プロダクト間で共通化し、横展開できるかどうかは、コンパウンド戦略の効率を大きく左右します。基盤が統一されていれば、新規プロダクトの追加コストを抑えつつ、スピーディに市場投入できます。
また、顧客側から見ても、複数プロダクトを利用する際に途切れのない体験を提供できるため、導入・活用の心理的ハードルを下げる効果があります。
3. 運用能力(0→1 と 1→10 を並行で推進できるか)
複数プロダクトを扱うには、新規プロダクト開発(0→1)と既存プロダクトの拡大(1→10)を同時に進める力が欠かせません。
特にコンパウンド戦略では、複数の“事業”を束ねる形になるため、プロダクトマネジメントだけでなく、組織設計、意思決定のスピード、チーム間連携の仕組みなど、運営面の力量が問われます。この能力が不足すると、プロダクトの追加は進んでも全体としての価値が磨かれず、統合型戦略のメリットを享受しにくくなります。
4. 価格設計(バンドルしやすい構造)
複数のプロダクトを一括(バンドル)で提供しやすい料金体系を設計できているかも重要です。顧客が“セットで使うほど得をする”と感じる構造を作ることで、クロスセルが自然に発生し、LTVが向上します。
一方で企業側は、LTVがCACを安定的に上回るように価格と提供価値のバランスを調整する必要があります。価格設計はコンパウンド戦略の収益性を支える基盤となります。
5. 販売モデル(クロスセル導線の設計)
複数プロダクトを展開する以上、販売モデルにおいても「どの顧客が、次にどのプロダクトを使いたくなるのか」を丁寧に設計する必要があります。アップセル・クロスセルを担当する専任組織や、スムーズにプロダクト追加ができる導線が整っているかどうかが、戦略の強度を決めます。SaaS企業でいうCS(Customer Success)の強さは、コンパウンド戦略において競争力そのものになります。
6. 実装速度(“厚み”を計画的に強化できるロードマップ
コンパウンド戦略では、初期版のプロダクトや小規模なサービス群を速やかに市場へ投入し、顧客の反応を見ながら段階的に機能の“厚み”を増していくことが重要です。スタートアップにとってスピードは最大の武器であり、複数プロダクトの組み合わせだからこそ、どこから着手しどの順で厚みを加えるかという戦略的ロードマップが欠かせません。
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コンパウンド戦略は、米スタートアップのRipplingにより、概念として言語化され、強度の高いプロダクト群を束ねるモデルとして広まりました。複数の機能を共通基盤でつなぎ、組織運営そのものを一貫して支える設計は、多くのスタートアップが参考にする新しいアーキテクチャとして定着しつつあります。
ただ、このアプローチは日本市場においてこそ、より深い必然性を持ちます。顧客課題が単体の機能では完結しにくい構造、日本企業特有の業務プロセスの連続性、そして人口減少による市場縮小という前提があります。こうした環境を踏まえると、価値を“点”ではなく“面”で届ける戦略こそが、導入率・継続率・単価を同時に引き上げる最も合理的なアプローチとなるはずです。
ON&BOARD TIMES編集部
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